四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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講孟剳記 記聞の学は

f:id:aristotles200:20210914202736j:plain現代語直訳)

人が、師になりたいとの欲がでれば、学んだことは己の身にはつかない。

得た幅広い知識は、ただ人に使われるのみ。

このような人に使われるだけの学問は、学者の常の患いであり、自ら戒めなければならない。

学問を成し遂げる眼目は、己の為にすることにあり。

君子の学問は、己の為に学ぶ。

小人の学問は、他人の為に学ぶ。

己が為の学問とは、人の師となるを好まなくとも、既に人の師となっている。

他人の為の学問とは、人の師となりたい欲を思うも、終には人の師となるに足らない。

故に、孟子はいわれた。

「記聞の学は以て師となるに足らず」

(知識のみの学問では人の師に足らず)

第二十三章

 

以上を含む第二十一章から二十三章までの三章の要旨は、

人の、ほめたりけなしたりを助けとせず、己の学問を修め、実を成し、

言葉を容易に発せず、実行を以って自らの責任とし、

人の師となるを好まず、己の為にする実学を修めよ。

意は、並びてよく似ている。

皆、己を修め、実を務めよとの教えなり。

 

所感)

■学問の道

現代教育が望む着地点との差は大きい。

「受験勉強に励み、名門大学に進学し、上場企業へ入社し、役職を目指し、富裕層としての贅沢な生活を楽しみ、子も高度な教育を受けさせよう、、、」

講孟剳記を後の世に遺された吉田松陰先生が、令和の世をご覧になれば、どのようなことを申されるのであろうか。

最後の三章のまとめを、逆に述べれば、現代の日本人そのものか。

ほめたりけなしたりを助けとし、

言葉を容易に発し、責任は持たず、

人から、師として崇めたてまつられたい、

現代には徳は無く、仁も義も礼も知も、皆ぬけ殻の様になっているのか、、、

否、ではないと、信じる。

だからこそ、今、現代で、儒学は必要とされていると、信じる。

同じ時代に、共に儒学を学ぶ諸先輩方も、同じ思いであるとも、信じる。

私たちは、東洋のドン・キホーテでは決してない。

儒学とは、時代を超えて、ものごとを正しく認識する学問。

もちろん現状は認める。

だからこそ、儒学の徒を目指し、己を磨き上げる為に学問の道を志した。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子 #吉田松陰