書き下し文)
是の故に君子には終身の憂いあるも、一朝の患いなきなり。
乃ち憂うる所の若きは則ちこれあり。
舜も人なり、我も亦人なり。
舜は法を天下に為して、後世に伝うべくする。
我は由未だ郷人たるを免れざるなり。
是は則ち憂うべきなり。
これを憂えば如何にせん。
舜の如くせんのみ。
夫の君子の若きは、患いとする所は則ち亡し。
仁に非ざれば為すなきなり。
礼に非ざれば行うなきなり。
一朝の患いあるが如きは、則ち君子は憂いとせず。
孟子 離婁章句
意訳A 現代語訳)
君子とは、一生をかけて行わなければならないことがあり、成し得るまで常に心に憂いがある。
故に、日常のつまらないことに心を奪われることはない。
君子の憂いとは、たとえ今はひなびた田舎にいる村人の一人に過ぎなくとも、同じ道を歩む、聖人といわれた瞬は、帝として民が笑顔で暮らせるような規範を国中に行き渡らせ、後の世に伝えた。
省みれば、瞬も人であれば、君子も同じ人ではないか。
君子とは、仁ではないことは行うことはなく、
(仁であることは全て行い)
礼ではないことを行うことはない。
(礼であることを全て行う)
瞬が成し得た、世界のすみずみまで仁が満たされ、礼があまねく整えられた世の実現を目指すのだ。
故に、君子は、日常で起きるようなつまらないことに対し、心を奪われたり気をかけることはない。
意訳B 直訳)
故に(前文の続き)、
君子とは、一生思い悩む憂いがある為、
今日、明日の日常の煩わしい雑事に患うことはない。
すなわち、どのようなことを憂うのか。
瞬も人、私も人、
瞬は、規範を天下に広く知らしめ、後の世に伝えた。
私はいまだ、田舎の人のまま世に出てはいない。
これが、憂うことだ。
この憂いをどうすればよいのか。
瞬のように行おう。
君子とは、日常の煩わしい雑事に患うことではない。
仁でないようであれば、為すことはなく、
礼がないようであれば、行うことはない、
今日、明日の日常の煩わしい雑事如きは、君子は憂いとはしない。
所感)
■最初に考えたこと。
この章の前半「ここに人あり①」の要約は、己になんの理由もなく理不尽で横暴なふるまいをする人に対して、己の仁、礼、忠を省みて落ち度がなければ、もはやその人は、獣、畜生の類いだからまともに相手をしてはいけない、
続く今回の「ここに人あり②」は、君子とは、このような些事に患うのではなく、本来の為せばならぬことを古の瞬帝を例えに、仁と礼を磨き上げ行うべしと述べる。
儒学の徒、ましてや規範たる君子とは、瞬の世を目指しただ世の中を変えるべく行動する。
昔から有名な孟子の一章、故に同学の諸先輩方はもちろんのこと、東洋思想の大家から著名な経営者、歴史上人物まで、孟子に興味を抱く人であればたいていなんらかの解釈をされている。
勉強の一環として、意訳A現代語訳は自分自身の言葉で考えた。解釈は、これだけの先人が述べておりなにを述べようが力不足の域を出ない。
ただ、先人の解釈を読み学ぶのみ。
この章は、吉田松陰先生が座右の銘とし、朝に夕にこの章を読み返し、我が身を省みるべしと述べられた。
吉田松陰先生の言葉で、
「学問をする眼目は、自己を磨き、自己を確立することにある」とある。
儒学を学ぶことにより、自らを磨き上げようと志しを立てた。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。
■腑に落ちない。
上記を、改めて読み返すと、己の腑に落とさず、他所の言葉を借りてきた文章だと気付く。
学問の中身が浅く、ただ先人の訳の上を散歩しただけ。
仕切り直す意味で、所感を続ける。意訳も、直訳ベースでやり直した。意訳B)
なにが、己の腑に落ちないか、吉田松陰先生はこの章に深く感動され、朝に夕に読み返すべし、とまで述べられた。
省みれば、私は感動していない。何故、感動していないのか、松陰先生の場合はリアルな学問。現在進行系の当時の状況とリンクさせ、孟子の教えが世の中を変えると信じた生きた学問。
学問で己を磨き上げるとはそういうことなのか、省みれば、私はこの章を小説や啓蒙書のように捉えている。
意訳A、及び、冒頭の所感での主旨はその視点でしかない。
仕切り直そう。
■吉田松陰先生について考察1。
吉田松陰先生は、列強諸国の植民地になりかねない、当時の日本の国際状況と、鎖国により伝わらない新時代の科学、思想、文明から取り残された、日本人全て、日本の国そのものを憂いた。
そして、この章の君子のように、
「我は由未だ郷人たるを免れざるなり。」
と、己が身を憂いた。
だからこそ、学問を行う者=孟子を学ぶ者に対し、座右の銘とし朝に夕にこの章を読み返し、
我が身を省みるべし、と励まされた。
■意訳して、気づいたこと。
参考にした幾通りの大家、高名な研究者の現代語訳、それぞれが素晴らしい出来ではあるが、所詮、他人のふんどしであり、我が身の学問にはならない。
下手で、素人でも、四苦八苦して原文、書き下し文からその意を汲む方が、余計なものがなく、孟子が直に理解できるのではないか。
他の章の所感でも述べたが、最初からベストの解答を与えられても、必ずしも身につくものではない。
孟子を学ぶ、学問の道とは、武道·武術を学ぶことと通じるように思える。
自ら、苦労して、汗を流し、考えるより前に身体が動くようになるまで、繰り返し、繰り返し、学ぶ。
■文章の分析、読解。
この章には、「今日、明日の日常の煩わしい雑事如きは、君子は憂いとはしない。」
という最後の言葉を含めて、「一朝の患い」が三回繰り返される。
解釈としてはここが中心なのではないか、と、はじめは思わざるを得ない。
前半の、獣、畜生なやからは相手にするな、の続きで、くだらぬ人、めんどくさい事に、心を患うな、と揃う。
しかし、本題は、君子の「憂い」の原因であり、過去、偉大なる瞬帝が行った仁と礼、
「規範を天下に広く知らしめ、後の世に伝えた。」にある。
このことを為すには、多くの人が囚われている、日常生活で重きをなす、獣、畜生の類いの人たちや、朝夕におこる煩わしいことに心は割かれてはいけない。
この「患う」とは、主題に添える副題にしか過ぎない。
主題の、瞬帝の仁と礼は、規模が想定外、
国、全体の人を包み込む仁であり、礼、全ての人を包み込む仁と礼こそ、この章の述べたいこと。
「規範を天下に広く知らしめ、後の世に伝えた。」
この、国中を包み込む仁と礼に近づく為に君子は日々、努力せよ。
確かに、日常の細々した問題などにかまう暇はあるまい。
両親を思う、思いやりの心、仁は、やがては国中を覆い、(四書、大学にある)明徳、親民、至善に至る。
■吉田松陰先生について考察2。
省みれば吉田松陰先生は、日本の国と、日本人全員を包み込む、大きな仁を、礼を、その身に抱かれた。
周囲の人たちが、目の前の小事に囚われ、日本の国そのものの危機を前に、日本人よ目覚めろ!
との意で、朝に夕に、この章を省みなさい、と
述べられた。
ようやく、この章が自分の中で腑に落ちようとしている。
■学問の道とは1。
学問の道とは、孔子、孟子のどんな素晴らしい内容でも、理解した、解答用紙に全文書ける、要約が出来た、で終わるものではない。
と言っても、この章を理解した者全員が、日常生活を捨て国事にこの身を捧げろ、でもない。
仁とは、もの凄く大きくなり、国中を包み込めるが、同様に、両親を思う気持ち、思いやりの心として常に人の目の前にある。
己の職業、生まれ育ち、環境、家族、年齢、
各々の立場で、大きな仁をこの身に抱くこと。
孔子、孟子の教えを学び、学問の道を志した者は、目の前の仁が、やがては大きな仁となり、
君子となる。
■「憂い」の気持ちと仁。
私たちは、なにを「憂う」のか、自分の中の、本当の「憂い」をどれくらい理解しているのか。
昨今のマスメディア、ネット等で溢れかえる情報と、彼らお得意の情報操作による感情操作。
私たちの価値観自体も、マスメディア、ネットで埋め込まれた、インスタントな他人の「憂い」で溢れている。
吉田松陰先生は、生まれ育った村、城下町、藩、幕府、日本という国、日本を囲む列強諸国、それら、周囲全てのものを前にして、孔子、孟子を学ぶ学問の道を通し、仁の心で、真実の「憂い」に気づかれた。
でなければ、村人の一人として無名のまま世を終われていた。
省みれば、世の中、二束三文、政府、学校教育、マスメディア、ネット等々のなすがままの、量産型の軽い軽い「憂い」が巷に溢れ返っている。
これは、「憂い」とはほど遠い。
孔子、孟子の学問の道とは、ものの見方、考え方を、他人に依存するのではなく、
仁という物差しを用い、自らの判断で、世の中を善悪を知る。そこから初めて、己の「憂い」を抱くに至る。
■学問の道とは2。
Twitterで知りあった私が尊敬する同学の大先輩、
周黄矢さんより薦められた、安岡正篤先生の「立命の書『陰騭録』を読む」という書籍に、
「儒学発祥の国、中国では、儒学が革命を起こす下地になり、また、為政者となった、かつての革命を志した権力者が、今度は儒学を、我が身の権力を維持する為に規制する、といったことが、中国史においては、近現代に至るまで繰り返されている」
とある通り、儒学を学ぶ学問の道とは、世の中の真実を明らかにする。
同じ章を、繰り返し、深く考え、都度、所感を更新していくという今回の方法は、どうやら効果的に思える。
所感を昇順で読み返すと、どのように思い、考え、結論に至ったのかも振り返りやすい。
自分の中で、儒学、孔子、孟子の教えを学ぶ、学問の道が、固まりつつあるように感じる。