四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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孟子 舜は田畝の中より發り

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書き下し文)

孟子曰く、

舜はけん畝の中より發り、

傅説は版築の間より挙げられ、

膠鬲は魚園の中より挙げられ、

管夷吾は士より挙げられ、

孫叔敷は海より挙げられ、

百里奚は市より挙げらる。

故に天の將に大任を是の人に降さんとするや、

必ず先づ其の心志を苦しめ、

其の筋骨をせしめ、

其の體膚を飢えしめ、其の身を空乏にし、

行ふところ其の爲さんとする所に佛亂せしむ。

心を動かし性を忍ばせ、

其の能くせざる所を曾盆せしむる所以なり。

人恒にに過ちて、

然る後に能く改め、

心に困しみ、慮に衡はって、

而る後に作り、色に徵はれ、聲に發して、

而る後に呼る。

入りては則や法家・佛士無く、

出でては則ち敵國・外患無き者は、

國恒に亡ぶ。

然る後に、優患に生じて、安楽に死することを知るなり、と。

孟子 告子章句下

 

意訳)

孟子はいわれた。

瞬は、田の畝から始まる。

【瞬、中国古伝説上の聖王。五帝の一人。儒教の聖人の一人。大舜。両親と弟に疎まれ山野で暮らすも、堯帝に見出され帝位につく。その治世は、先帝の堯の世とともに天下が最もよく治まった時代とされる。】

 

傅 説は石切場から見出された。

【傅 説、殷の武丁の宰相。伊尹や呂尚と並ぶ、名臣。王の武丁がみた夢に「説」という名前の聖人が現れた為、人に探させると、傅険という岩屋で働く罪人が見つかる。傅険で見つかったので傅を姓とした。傅説を用いることで、衰えていた殷はふたたび盛んとなり、武丁は高宗と呼ばれた。】

 

膠鬲は魚を売っているところを見出された。

【膠鬲、殷の紂王に仕え、後に周の文王に推挙された賢臣。元々医師、殷と周の争いを避け、魚や塩を売って生計をたてていた。】

 

管夷吾は下っ端の士位のころに見出された。

【管 夷吾、中国春秋時代における斉の政治家。鮑叔の推薦により桓公と面会し、強兵の前に国を富ませることの重要性、そしてそれには民生の安定と規律の徹底が必要だと説き、即日宰相に命じられた。桓公に仕え、覇者に押し上げた。】

 

孫叔敷は海辺に隠れていたの見出された。

【孫叔敷、荘王に仕えて楚の富国強兵を成し遂げ、荘王に天下の覇権を握らせた。同時代の晋の士会は敵ながら孫叔敖の治世を指して「徳・刑・政・事・典・礼の六つが正しく行われている」と絶賛した。楚屈指の賢相の一人。】

 

百里奚は市中にかくれていたのを見出された。

百里 奚、中国春秋時代の秦の宰相。清廉潔白、徹底した徳政を行う。放浪の旅の後、虞の大夫として虞侯に仕えるも、晋の献公に計略で虞国を滅ぼされ、楚に流れて奴隷とされたが秦の穆公の家臣に見つけ出され、羊の皮5枚で買い戻され、秦に仕えた。】

 

故に、天が民を救うべく命を下さんとするや、

まず、その人の心を苦しませ、その志しを砕く。

そして、筋骨を疲れ果てさせ、飢えに苛ませる。

行うこと、為すことうまくいかず、常にその身を苦境に晒させる。

 

これは天が命を下すにあたり、心を強くさせ、命を受ける者に、不屈の志しを抱かせ、今まで行えなかったことを、成し遂げれるようにするためのこと。

 

人とは過ちを侵し、然る後に改め、また心苦しみ、如何ともし難い有様に陥り、そこで初めてことを成す。

 

苦しみが心を埋め、顔色にあらわれ、声に出るようになって、初めてものごとの本質を知る。

 

国においても、

内政にて法を遵守する者がなく、君子を助ける臣がおらず、

外交にて敵国が周囲におらず、他国に患うことのない国は、

やがては亡国は逃れられない。

 

つまるところ、

人とは、憂い、患い、心身ともに苦しむことにより、初めて自らの全てを賭けて、ものごとを成すことが出来るもの。

方や安楽に案じる者、ことごとく死すのみ。

 

所感)

明治書院

明治書院、新釈漢文大系、孟子には、この章を、

孟子文中の聖典的格調高き大文章」と述べている。

佐久間象山吉田松陰先生が常に愛唱されたと伝えられている。

 

孟子の一面

天命の困難さ、受ける者の覚悟、人の弱さと強さの本質、孟子の猛々しい一面を述べている。

もし、愛する家族が、親が、子が、このような事態に巻き添えになるのであれば、死にものぐるいで解決に当たるのが父であり、兄であり、子であろう。

この思いを天下に広げれるのが、聖人であろうか。

未だ、学問の道を歩む者としては、ただ、己の学問の至らずを恥じるのみかな。

 

私見と私感

私感としては、やはり、ぶっそうな天ではないか。

こう述べれるのも、吉田松陰先生の「講孟箚記」、最初にある、「孟子におもねてはいけない」との言葉を知り得た故による。

私見であるが、学問の道とは、聖典を盲信する必要など微塵もない、と思っている。

孔子孟子の本質を学ぶことが学問の道ではないか。

吉田松陰先生の時代においては、松陰先生の思想は是であり、時代が異なれば、それぞれの是があって良い。

もし、令和の世を視られた松陰先生であれば、必ず、

吉田松陰におもねてはいけない」と述べられるであろう。

儒学とは、真実を明らかする学問。

その為の学問の道ではないか、と思う。

 

■違和感

儒学に関して、様々なブログや、ネットの記事を拝読して違和感を感じることがある。

孟子を革命的、革命思想と紹介する記事だ。

肝心の主語が抜けている。

「悪政の為に苦しむ天下の民を救う為に」

獣、畜生の類いの独裁者、を誅するのだ。

アドルフ・ヒトラーを誅したことを、ぶっそうだの、革命思想だの言う現代人はいない。

 

孟子の本質

大きな、大きな、思いやりの心、あわれみの心、時代を超えて、全ての人を包み込む、暖かな仁の心。

 

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子