四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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講孟箚記 孟子におもねてはいけない

f:id:aristotles200:20210914203734j:plain講孟箚記(上) 講談社学術文庫

通読一回目終了。

 

所感)

目から鱗

吉田松陰先生の講孟箚記を読み始めて、冒頭から衝撃を受けた。

孟子におもねてはいけない」

儒学聖典でありながらも、二千三百年前の中国での出来事故に、今の世(江戸時代末期)で解釈する場合は、是々非々の判断が必要であると、松陰先生は述べられた。

目から鱗のような印象を受ける。

孟子の教えとは人類普遍の教えではあるが、

二千三百年前の中国戦国時代のお話しであり、現在とは異なる部分はある。

聖典だから、一文字一句妄信しろ、とは良く考えれば儒学の教えと異なる。

儒学とは、ものごとの本質を正しく捉える現実的な学問。

儒学の根本となる聖典ですらその範囲外ではない。

人が人として存在する限り、孟子の述べる教えは普遍の聖典として読み継がれる。

そして、儒学を学ぶものは自らの積み上げた学問により、是々非々の判断を行う。

孟子を解釈した吉田松陰先生の、講孟箚記は、儒学を学ぶ日本人にとって、孟子の解釈書として普遍の書ではないか。

理論明晰に孟子の本質を明らかにする講孟箚記は、儒学を、孟子を学ぶ日本人であれば必読の書と思える。

 

■ものごとの本質

当然ながら、松陰先生が講孟箚記で述べられた通りに述べれば、

江戸時代末期と令和の世は異なる。

松陰先生なら、

吉田松陰におもねてはいけない」

と述べられ、さぞかし我ら令和の儒学を学ぶ者を励まされよう。

儒学とは、ものごとの本質を正しく捉える現実的な学問。

このような事を述べられた、吉田松陰先生とは、ただ、凡人の我が身にはただ感嘆するのみ。

襟を正して、真剣に講孟箚記に向き合うとする。

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。

#儒学 #孟子 #吉田松陰