書き下し文)
道は邇きに在り、而るに諸を遠きに求む。
事は易きに在り、而もこれを難きに求む。
人人其の親を親とし、その長を長として、天下平らかなり。
離婁章句上
意訳)
仁の道は近くにある。なのに人は、遠い先にあると思っている。
仁の行いは易しいことにある。なのに人は、難しいことの先にあると思っている。
自分の両親を敬い、年長者を敬う、そのままで天下は平らかに治まる。
所感)
■中国武術の体験
武道、武術を習う場合、最初に学ぶ技は、突き詰めれば奥義となるくらいの、その道の全てを内包している。
初学者は、形を一通り模写出来るようになると、直ぐに次の技を望むが、どうなのであろう。
私事であるが、中国の内家拳の一つ、形意拳を学んだ時に師父から言われたことは、
入門して一年間は、開式から三体式(決められた立ち方で、ひたすら立つ)しかさせない。
飛んだり跳ねたりしたければ、他の門派に行きなさい。
入門して、確かにその通りであった。且つ、毎日の自主練習が求められた。でなければ本当の力は身に備わらない。
当時の上海の虹橋体育館は、他の外家拳も含めて、広い体育館の好きな場所、同じ時間に共同練習する。
外家拳を学ぶ人たちは、勇ましいかけ声と勇猛な動作で観るものを圧倒する。
その横で、私たち形意拳を学ぶものは、三体式で立ち続けるのみ。
師父からいただいた言葉として、
一本の木が大きくなろうとする場合、まず根を地中に広く生やすもの。
三体式とは、とても重要なもので、ひたすら練習し大地に広く、己の根を伸ばしなさい。
地中に広く広く生やしたたくさん根を基に、一本の木は、やがては大木となる。
■儒学と武道、武術
仁の道、仁の行いは、武道、武術とも共通するのでないか。
本文にある通り、確かに、仁とは近いし易しい。
近くて易しいから、そのままで良いというわけではない。
近いし易しい一本の細木は、育てていってこそ妙、やがては国中を覆い、国中の人々を救う大木となる。
文面の意、のみでこの章を捉えてはならない。
自分の両親を敬い、年長者を敬う、人であれば皆備える仁の心を、日々深く積み重ね、己が身の芯まで行き渡らせなければならない。
その為の学問の道であり、学問を行うことより、自己を磨き、自己を確立させる。
■内面の充実
最近、AmazonPrimeビデオで、三国志のドラマを楽しんでいる。
シーズン1のエピソード8、孫堅が劉表の裏切りにあう章の最中だ。
このドラマの中で、断トツにかっこいいのが劉備だ。比較対象としては、欲にかられた袁紹、袁術の醜さか。
あまたの武将が登場する中で、劉備の腰のすわりようが只者ではない。
仁と義の徳が、全身に積み重ねられた有り様をよく演じていると感じた。
三国志は好きなので、他のドラマ、映画も観ているが、三兄弟の関羽や張飛に食われている劉備が多かった印象が多い。
仁とは、内面の充実でもある。
喧嘩の強さや、地位、生まれ育ち等は人の本質ではなく、一身に積み重ねた仁こそ、人の器量、度量となりやがては、国も救おうとする大きな仁となる。
今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。