1)金曜日の夜、
『俳句を止めるとか止めないとかいう人が時々ある。
何という薄っぺらな心境であろう。
止めようと思って止められるような俳句であるならば、
止めまいと思うても止んでしまうような俳句であるならば、
それはまことの詩ではない。』
2)土曜日の朝、「ツリー」
店前のクリスマスツリーが灯りを消され朝日を浴びている。
「期間限定ツリーの灯り、もう来たかとカードの残高思い浮かべる」
3)土曜日の朝、「皇帝」
キダチダリア、別名、皇帝ダリア。
「細木の上には皇帝ダリア、お顔を見上げて謁見するも、朝日にしかご興味がないご様子でした」
4)土曜日の朝、「ダリア」
皇帝ダリア。
「冬の寒さに、周りは枯れ山、これぞ兵法、我が名はダリア」
5)土曜日の朝、「時」
くしゃみ。
「さあ、時は来た、大きな声出し、存分に、心置きなくくしゃみした」
6)土曜日の朝、「ミカン」
信号の色、ヒトガタ、気になる。
「赤色∶何で毎回止まるなんだ、普通レッドは主役だろ」
「青色∶二番煎じのブルーとは呼ばせない、オレに任せて行ってくれ!」
「黄色∶・・・またモブか、登場すらしない、みんなミカン好きなのに」
7)土曜日の朝、「明治という時代」
紅葉、終わる。
「口ずさむは、蛍の光、窓の雪」
「文明開化の名残り楽しむ蛍の光」
スコットランド民謡✕中国の魏晋南北朝時代の故事✕日本の明治時代の作詞
8)土曜日の昼、「待ち時間」
病院、待合室いっぱい、2時間待ちと告げられる。
「寒いと寒いから、暑いと暑いから原因と毎回述べるドクター」
「つまるところ、生きていることが原因らしい」
「受付の人の告げる待ち時間、倍でもこずに腰痛追加、戦略か」
9)土曜日の昼、「へそ曲がり」
薄っぺらい主張。
「確かに薄っぺらい、しかし言わしてもらう、薄っぺらさも、積み重ねれば天まで届く」
「数撃ちゃ当たる、無知と浅はか故に為せることもある、とうそぶく」
「厚い薄いも目方(体重)なら自信あり」
10)土曜日の昼、「牛丼三つ」
お昼ご飯は松屋の牛丼並+ミニカレー、テイクアウト三人分。
「妻子待つ我が家に持ち帰るは牛丼三つ」
「食卓で牛丼囲み話すは午後の予定、土曜日の昼」
「牛丼喜ぶ我が子にほろり、妻も楽だと笑顔なり」
11)土曜日の夕方、「気弱」
午後より体調悪し、安静にする。
「若くない、検査の数値と上がらぬ足先」
「病床に何度も顔出し憎まれ口をたたくは我が子なり」
12)土曜日の夜、「老い」
映画を観るもハズレばかり。
「退屈とは、なにかしている時に思うもの」
「独りとは、心ざわつき落ちつかないもの」
「老いとは、独りと退屈、そしてごまかし」
13)土曜日の夜、「バーゲンセール」
私は勇気という感情を嫌う。
非論理的且つ自己犠牲、つまりヒロイズムとは主人公も敵も全てが個人、又は集団の主観的価値観に委ねられる。勇気とは一つの主観にしか過ぎない。
「商業ベースで勇気の安売りバーゲン中、お代は生き方、善悪、価値観、全てお支払い」
14)土曜日の夜「押し付け」
何時、何処で、誰から生まれたかで、ヒロイズムは変わる。[悪]の組織が滅ぼされれば、勝者と復讐を誓う者が生まれ、負の連鎖は通史の通り。
「ただ典籍を友に、家族の笑顔と生活が成り立てば満足だ」
「見て見ぬ振りはしたくないが、押し付けられるのは御免蒙りたい」
所感)
■くせ
人には性格があり、年老いてはもはや変えようがない、と自らを省みて苦笑いするのみ。
#自由律 #儒学 #日記 #雑記