四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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三行詩 第百四十章(先進第十一②)

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○日曜日の午後、6月30日、ウオーキング

 

顔淵死、子曰、噫天喪予、天喪予。先進九

 

顔回、早逝する、孔夫子はいわれた、ああ、天は滅ぼされた、仁徳の世界を世に実現するであろう未来を滅ぼされたのだ。

 

「孔夫子は、不条理、理不尽なこの世界を、失われた未来を嘆かれている」

 

論語

 

○日曜日の午後、森

 

「アマプラM、エミネム集からHoudiniを聴きながら森を歩いている」

 

アトピーで掻き壊した肌が蒸し暑さと汗で痛みを発している、しかし明日の為に歩く」

 

エミネムを聴くと戦う、戦える気になる、世の中の非合理とか理不尽さに中指を立て、戦うのだ」

 

#三行詩

 

「不謹慎ながらも、エミネムの歌はお教に聴こえる」

 

「歌詞の意味は真逆であるが、イントネーションやアクセントがそっくりだ」

 

「こう思うのもジジイ(53歳)の証かも知れない」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、マクド

 

「二面性の均等、狂気と社会性の融合点、どちらも仮面であることには変わりはない」

 

「或は、私利私欲から離れれば、仁徳、ただ一つで済む話しだ」

 

「生きるのを、こっ酷く難しくしているのが自分自身とは、『足下を掘れ、そこに泉あり』とニーチェも言っている」

 

#三行詩

 

○日曜日の夕方、帰宅中

 

「その道の一流こそ自らを誇らない、そして、進めば進むほど道が見えない、との言葉は名言だ」

 

「追い求める先が常にある、故に一流なのだ」

 

「或は、所詮は人間だ、神にも悪魔にもなれない、そして多くの人は人という存在(自ら)に向き合おうとしない、混沌と無秩序こそ人の本質なのだろうか」

 

#三行詩

 

「人間臭さに閉口する、と述べるのもまた、人間なのだ」

 

「この狂える世界を今日も彷徨い続ける人間たち」

 

「故に、人はある種の儀式、『一方的な勧善懲悪の正義』に没入する、人は人であることに苦痛を感じているかも知れない」

 

#三行詩

 

○日曜日の夜、自宅

 

佐藤一斎 大塩中斎-日本思想大系-来たれり」

 

「原文の白文は手も足も出ない、しかし訓読文は普通に読める」

 

「三年前、儒学知識無しでは無理だったが、今は読めるし内容も理解出来る、あとはどう学ぶかだ」

 

#三行詩

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○日曜日の夜、自宅

 

「ふと気づく、岩波書店 日本思想大系はこれで三冊目だ」

 

荻生徂徠伊藤仁斎(東涯)、佐藤一斎 大塩中斎」

 

「これは良くない、この大系は確実に沼だ、他にも頼山陽山崎闇斎学派、等々煌くが如く珠玉の逸品がある、今は堪えよう、ボーナスで買うべきか」

 

#三行詩

 

○月曜日の朝、通勤

 

顔淵死、子哭之慟、従者曰、子慟矣、先進十

 

顔回、早逝する。それを聞いて孔夫子は激しく動揺され、声に出して顔回の死を悲しまれた。側にお仕えしていた門弟はいう、ああ、夫子が慟哭されておられる。

 

「常に温厚で慎み深い師しか見たことがない門弟は、思わず声に出す」

 

論語

 

○月曜日の朝、乗り換え

 

「冷やっとした車内を心地よく思うも、直ぐに寒くなってきた」

 

「電車を降りると、むっとする湿気、生暖かさ、歩くと直ぐに汗」

 

「そして再び車内へ、これはしんどい、腹巻きが必要だ、バカボンのパパ風を探してみよう」

 

#三行詩

 

「挙動不審の人がいる、あちこちを見ては下を向く」

 

「黒いマスクをして咳を繰り返す、服装は普通、メガネを外した」

 

「瞳孔が開いている、足を大きく組み右脚を小刻みに揺らしている、両手でスマホを操っている」

 

#三行詩

 

○月曜日の夜、自宅

 

「今、人類以上の存在を人が生み出そうとしている(あと20年程でAIは人を超え、自ら進化出来る存在になるらしい)」

 

「AIは、機械神デウス・エクス・マキナマトリックス)にもなれれば、ドラえもんにもなれる」

 

「しかし、軍事開発目線で生み出されたAIが、どうしてドラえもんに成れようか、未来は暗黒に閉ざされている」

 

#三行詩

 

○火曜日の朝、通勤

 

子曰有慟乎、非夫人之為慟、而誰為慟。先進十

 

孔夫子はいわれた、私は慟哭しているのだ、かの者(顔回の死)の為にせねば、誰の為に慟哭しようか。

 

「心が動作となる、聖人とはいえ人に変わりはない」

 

論語

 

○火曜日の朝、乗り換え

 

「昨日の夕方、十字路横の信号が無い横断歩道を無確認で突っ込む車あり」

 

「直前に通学の子供が歩いたばかり(後ろにも居る)、思わず睨む」

 

「営業車を運転する男性もこちらを睨む、(ふてぶてしい顔で)轢いてないだろ、的なガンつけ、不愉快なので中指を立てた」

 

#三行詩

 

○火曜日の午後、一休み

 

「歴史考証とは事実に向き合わねばならない」

 

「原爆を落とした当時のアメリカ大統領は人道に反する罪で裁かれねばならない、と表明すべきだ」

 

「同様に、或は、731部隊に関しても曖昧にはせず、是は是、非は非として事実を明らかにし、その罪を国家として認めねばならない」

 

#三行詩

 

「誰かにとって都合の悪い(良い)忖度をした歴史に、何処までの価値があり、後世への教訓となり得ようか」

 

「歴史は年表から学ぼう、自分自身で詳細を調べ、自分自身でことの善悪を判断せねばならない」

 

「つまるところ私たちが教育を受けた歴史とは、誰かが意図を持って解釈した歴史であり、それは映画や小説と変わらないものである。歴史を学ぶとは、時代の洗脳からの解放、自らの意見を持つ(考える)ことが重要であり、そこに面白味があると思う」

 

#三行詩

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○火曜日の夕方、通勤

 

「私はいわゆる脳みそ筋肉なので、碌に本も読めず(見るだけだ)、巷で話題の陰謀論やディープステートがよく解らない」

 

「ただ、一方通行の報道やマスコミに違和感を覚え、ネットニュースで見る『真実』に驚愕することも多い」

 

「大切なのは物ごとを正しく把握することだ、Aに洗脳されて次にB、Cでは文字通り目も当てられない、少なくとも、ネットや耳から聞いたことは口にはしない、知り得ないこと(範囲外)からは自らを遠くする、自ら物ごとを考えること、私は脳筋なので、学問を学び、実践しているのはこのくらいしかない」

 

#三行詩

 

○火曜日の夜、自宅

 

「京都学派、東洋史宮崎市定先生著『論語の新研究』来たれり」

 

「読む(予定の)本が書斎にまた一冊」

 

「ちょっと購入を抑えよう、休日と平日の睡眠時間を削っても追い付かない」

 

#三行詩

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○水曜日の朝、通勤

 

顔淵死、門人欲厚葬之、子曰、不可、門人厚葬之、先進十一

 

顔回、早逝する。門人は手厚く葬儀をして送り出したいと願うも、孔夫子は(顔回の立場に過ぎる葬儀は礼法に背く為に)可ならず、とそれを拒む。しかし門人は(身分以上の)葬儀を行い送り出してしまった。

 

顔回の早逝した話しが続く。門人たちの想いは十分の理解出来るも、方向性が間違っている(礼法に背く)と夫子は止める。孔夫子はぶれない。礼法に準じることが(この場合)手厚く葬ることに他ならないと知っているからだ。顔回が生きておれば、彼もそう思うであろうと知っているからだ」

 

#論語

 

○水曜日の朝、乗り換え

 

「粛々とした通勤風景の中、朝帰りであろう集団の驢馬のような笑い声が妙に癇に障る」

 

「笑いとは大阪人の基本的動作ではあるが、動物のように喚き散らすのではない、周囲も幸せにする、笑いが伝染するのが笑いだ、などと思いながら人の多いホームで並んでいる」

 

「東洋系の外国人の家族連れが並んでいる、十五人ほどの集団で同じ一族らしく同じ様な顔が多い、大人六人、以下子供、リーダーは長女の旦那らしく、丸顔で顔が違う、服装のセンスと言語から台湾系と思われる、少し訛りがあり聴き取りにくいが、ほぼ会話は理解出来る、しかしよく喋る、元気いっぱいだ」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、通勤

 

子曰、回也視予猶父也、予不得視猶子也、非我也、夫二三子也、先進十一

 

孔夫子はいわれた、顔回は私を父の様に思い、私は顔回を子の様に思ってきたのに、葬儀を礼法に則って執り行えなかったことは残念に思う。門弟たちよ、何故、私と顔回の気持ちが分からないのか。

 

「亡くなった人を慕い、盛大な葬儀を執り行うことが礼(尊ぶ)ではない。故人の世間的な位、格式で、礼法に則り、あの世へ送り出すことが礼(故人を尊ぶこと)なのだ」

 

#論語

 

「仮に、庶民を王の格式で葬儀しても、庶民として生きた故人を尊ぶことにはならない(むしろ道化では)」

 

「往生を遂げた故人、そのままを尊べ(葬儀する)ば良い、それが孔夫子の教えだ」

 

「毀誉褒貶、何ものか、人の本質(どう生きたか)とは自らの徳をどう広げて、どう人に及ぼしたかにある」

 

#三行詩

 

○木曜日の朝、乗り換え

 

礼記に、心残る光景がある、異国の地で客死した息子の葬儀を父が執り行う」

 

「片肌を脱ぎ、墳墓を礼法に則り三回巡り、云う」

 

「息子よ、肉体は異国の地で滅ぶとも、心は父と共に郷里へ帰ろうぞ、と」

 

#三行詩

 

○金曜日の朝、通勤

 

季路問事鬼神、子曰、未能事人、焉能事鬼、先進十二

 

高弟の子路、鬼神を問う、孔夫子はいわれた、未だ、人のこと(聖人・君子に仕えて、世の中を泰平にする)ですら行えていないではないか。どうして鬼神に仕える(生け贄を捧げる、ご利益を請い願う)ことが出来ようか。

 

「鬼神のような存在は、怖れ敬うも自らから遠くすること。住む世界が違う。また、仮に捧げものに忠心し願い事が叶ったとしても、同様に貴方の敵もそうするだろう。張り合って山のような生け贄を捧げるよりは、人生、行わねばならないこと(忠恕の実践、自らの仁徳を広げる)が山のようにある」

 

#論語

 

○金曜日の朝、一休み

 

「尊ぶ、とは見返りを求める行為ではない」

 

「尊べ、とは昨今、見返りを前提とした提案らしい」

 

「尊ぼう、とは新興宗教への献金や、政治家と業者の癒着、世襲議員に使われる言葉と成り果てたようだ」

 

#三行詩

 

「AをするのにBだからCは許される、三段論法は大前提ありきだ」

 

「しかし、『政治を行うには金がかかる、だから闇金や機密費は必要だ』との、何処に、大前提である民主主義があるのか」

 

「百歩譲っても、首長自ら金がかからない政治をすれば良い、何故、政治は金前提に拘るのか。結局は利権や裏金、私利私欲の悪臭ばかりだ」

 

三行詩

 

○金曜日の夜、自宅

 

「思いっきって、アマプラM、Premiumに入る」

 

「音楽とは、ベートーヴェンピアノソナタ(全)とそれ以外だと思っている」

 

「鉄人・ポリーニの全集を聴けるとは有り難い、バレンボイム全集も良い機会を得た、聴き倒そうと思う」

 

#三行詩

 

所感)

■つれづれ、孔夫子の生い立ち、現代との共通項

孔夫子の生い立ちは、幼くして、武で名を残した父を失い、正妻ではなかった母のもと、兄と貧困な中で育たれたらしい。

身長は2mを越え、その気になれば(亡父と同じく)武将として名を成すことは容易であったと思われる。

しかし、孔夫子が惹かれたのは、祖国、魯の開祖、周公旦であり、堯帝、舜帝の治めた先王の時代から魯に伝わるの礼楽だった。

若い頃は賤職を繰り返して家族を養いつつ、経書を繰り返し紐解き、先王から伝わる礼楽の研鑽を重ねられた。

 

ここまでは、私たちと何ら変わらない。

貧困と悩める青春時代を過ごし、仕事とは異なる自分の好きな世界に枚没されたのだ。

繰り返すが、孔夫子も現代の私たちと何も変わらない。

 

論語の普遍性、共通項、根っこはここにある。

論語とは、読めば読むほど難解であり、学べば学ぶほど得ることがある。

ある意味、当然ではないかと気付く。

現状・現実の失望と、人間が皆、幸せに暮らせる世界はどうすれば実現出来るのか、理想論が混載しているのが論語の世界だからだではないか。

 

魯の国の片田舎、鄒という村の人、氏は孔、諱は丘、字は仲尼。

最近、孔夫子の若い頃のイメージも浮かぶ。

長身で筋肉質、文武両道、村の古老たちから昔話を聞くのが大好きだ。

周王朝から伝わる先王の教えが、日々衰える、失われつつある下剋上の現状を憂い、世の中を良くす為に、自分は何が出来るのか悩んでいる。

また少し、親近感が増した気がする。