書き下し文)
孟子曰はく、
人皆人に忍びざるの心有り。
先王人に忍びざるの心有りて、斯に人に忍びざるの政有り。
人に忍びざるの心を以て、人に忍びざるの政を行はば、天下を治むること之を掌上に運らすべし。
孟子 公孫丑章句
意訳)
孟子がいわれた。
人は皆、他人の不幸に接っすると、見て見ぬ振りが出来ず、なにか助けの手を差し伸べたいという気持ち、心が、必ずあるものだ。
古の聖王、と称された偉大な為政者も、現代の私たちと変わらず、人の不幸に接して、見て見ぬ振りが出来ず、なにか助けの手を差し伸べたいという気持ち、心が、常にあった。
そして、彼らは、その心の命ずるままに、人の不幸を見れば、困っている人たちに、助けの手を差し伸べた政治を行い、当時から、また、後世の世まで、古の聖王と称えられたのだ。
今の世の中でも、人の不幸を見て、見ぬ振りせず、なにか助けの手を差し伸べたいという一心で、国の政治を政治家が行えば、天下を治めることなど、手のひらにのせた丸いものを転がすくらい、たやすいものだ。
所感)
■仁へとつながる
道ばたで倒れて怪我をして、動けない老人、女性、子供をほっとく人などいない。
困っている人を見て思う、あわれみの気持ち、痛む心、助けの手を差し伸べたいという意思が、仁へとつながる。
人に評価されたい、称賛されたいから、困っている人を救うのではなく、
困っている人たちを救いたい、その思いこそ、大きな仁へとつながるのだ。
■あわれみの気持ち
まったく至らぬ我が身なれど、困っている人を見て思う、あわれみの気持ちを、今一度見直したい。
そして、あわれみの気持ちから、どのような行動につなげていくのか、さらにこの章を読み進めていく。