月曜日の朝、
「動くとクラクラ恐らくはメニエール慣れている はず」
「ぼちぼち行こう、微速前進」
「禁酒、五日勝って二日負けは妥協か最適かわからないが継続中」
月曜日の朝、
「通勤電車、ベラベラ喋るのがいてハズレ いつもと違う」
「親にしてもらったことを他人に広げることの難しさよ」
「父の遺影は、そんなもんだと笑顔で語りかけてきた 今朝も」
月曜日の夕方、
「愉快ではないことが続くも、バルカン人らしく論理的に行動しよう」
「クリンゴン人め、奴らは自分の名誉のことしか話さないぞ」
「いっそのことボーグと同化した方が話は早いのでは」
火曜日の朝、
「論語を読めば読むほど至らぬ我が身かな」
「徳など皆無の我が身なればこそ、さらに省みて論語を繰り返し読む」
火曜日午後、
「孔子を学ぶ同門の人は正直少ないと感じる」
「同学の朋友との出合いはごく稀、故にTwitterでのご縁は非常に嬉しい」
「学問の道とは自らの徳を明らかにすること、実践こそ」
火曜日の夜、
『「子曰く、学びて思わざれば則ちくらく、思いて学ばざれば則ちうたがう」論語、為政篇』
「論語を学ぶとは、習うだけではない、自ら考えることが大切であり、逆も然り」
「習う、に拘泥していた自らに気付く火曜日の夜」
火曜日の夜、
「繰り返し、繰り返し、読んでいる、面白し」
「易経を学ぶのであれば、あわせて中国思想史を学ぶのは必然だと感じる」
水曜日の朝、
「夫婦喧嘩、子が納めて得意顔」
「最後はホラー映画の悪役扱い父無念」
「スマホの線が抜けて充電叶わず朝気づく」
水曜日の朝、
「帰宅したら、伊藤仁斎先生の語孟字義で調べてみよう」
水曜日の夕方、
「何事もなき一日なれど、疲れる心」
「人無しなら自分に、他人となら他人に疲れる心」
「人という生き物、なんとめんどくさいことか」
水曜日の夕方、
「目の前の人がくしゃみをし続けている」
「電車の中では避けようもなし、いったいどうしろと」
「そっと離れることにする、そっと、そっと、足を動かした」
水曜日の夕方、
「人混み自体が苦手、たくさんの他人の顔に酔う」
「顔、顔、顔から発する赤の他人の自己主張、私は人嫌いなのだ」
「自宅の小さな書斎でじっくりと本を読んでいれば幸せ」
水曜日の夜、
「易経の天とは天道なり、『一陰一陽、往来已まざる、これを天道と謂う』と、語孟字義にあり」
「孟子の天とは天命なり、『命とは、乃ち上天、人の善悪淑慝を監臨して、これが吉凶禍福を降すを謂う』と、語孟字義にあり」
#伊藤仁斎 #語孟字義
水曜日の夜、
「易経を読んだ頭で諸橋轍次先生の『老子の講義』を読む、今までになく老子が心に伝わる、ただこれが正か誤かはわからない」
「福永光司先生の『老子』を読んで、我が浅学非才を思い知る、出直そう、今はこのレベルの本は無理だ」
木曜日の朝、
「世の中には関わってはいけない人たちはいる 確かに」
「それでも関わざるを得ない時もある 残念ながら」
「その為に、世の中には礼がある、礼に則り礼に基づいて行う あとは関わるな」
木曜日の朝、
「オミクロン検査五割感染とは既に非常事態では」
「リモート出来る人もいれば、リモート出来ない人もいる」
「満員電車で感染者無しという現代の神話を信じろと」
木曜日の午前、
「孔子のようになりたい、とは私には余りにも高すぎる」
「私は、自らを磨く為に学問の道を志した」
「自らを小人と認めること、論語知らずを認めることを恥とは思わない(だからこそ学問に励むのだ)」
木曜日の夕方、
「自らの忍びざるの心のまま行う」
「極端は避けるも不仁であるよりは向こう見ずを選ぶ」
「いろいろ考えるより手や足に任せる方が良い時もある」
木曜日の夕方、
「無法な輩に手は出しては負け、大声は罪にならぬ」
「手を出されたら、監視カメラの前は鉄則、被害届けと刑事告訴で金を毟り取れ」
「古今東西、逃げるのが一番良いことには変わりなし」
金曜日の朝、
「全体像をみて六十四卦の卦辞と爻位を詩のように読んでいる 易経」
「乾は龍の詩から始まり、天地雷風水火山沢と様々な事象が詠われる」
「これは面白い、一陰一陽皆繋がっているオープンワールドを自在に遊ぶ」
金曜日の午前、
「平日の街を歩く開放感と空くお腹」
「車窓から見える無機質なビルと車内の人少なし」
「空の雲をずっと見続けた頃には戻れない(いろいろ)」
金曜日の午前、
「漢文の勉強も進行中、励み、ご褒美に、さあ読めるのか一抹の不安あり」
金曜日の午後、
「餃子の王将、安い、腹いっぱい食べて(抑えて呑んで)三千円いかない」
「嫁さんには、駅でいなり寿司(わさび)✕5でご機嫌よう」
「子は遠足で夕方帰る、そろそろ家に帰ろう」
金曜日の午後、
「横のカウンターに座った人、焼きそば、焼き飯、餃子四人前と注文、えっ(・_・)」
「上には上がいる、ちらりと横を見ると小柄で見かけ四十代、この人が一人で今から食べるらしい」
「なんとなく負けた気分で会計に向かう(次は餃子四人前に挑戦だ)」
土曜日の午後、
「世界新聞という旅行ブログを読んでいたら時間が溶けた」
「上海、ソウル、ハノイ等に行った時の記憶が甦る」
「安宿とエアー往復のみで十日ほど、一人街を彷徨うのを好む」
土曜日の午後、
「上海には二年ほど住んでいたので鉄道であちこち旅行した」
「現地の友人か、でなければ旅は一人が良い、日本人通しで行く価値観はない」
「一日中歩きまわり、屋台や地元の店で食べまくり呑みまくる」
土曜日の午後、
「三年前に行ったハノイでも男二人組みの日本人旅行者を良く見る」
「カップルは理解出来るが、男一人では旅行出来ないとか ありえん 」
「事故、犯罪、トラブルに一人では対応出来ない、訳がない(寄らない.払う.逃げるのだ)」
土曜日の午後、
「私は武道経験者だが、海外で手を出したことは一度もない(だから生きている)」
「大声と断固たる意思表示、逃げ足の速さこそ」
「スラム街で服を剥ぎ取られ、集団に追いかけられた時もある(小一時間必死に逃げた)」
土曜日の午後、
「逆に言えば、一人だから逃げれる、嫌なら外国人向けコースから外れてはいけない」
「十人くらいの日本人の友人と入った店でボラれて揉めて、奥から出てきたマフィアに囲まれて、有り金全て奪われたこともある」
「まさかこの人数で、が通用しない(だから海外は面白い)」
土曜日の夜、
「大阪のスラム街と称される街にも友人とたびたび呑みにいく」
「安くて美味いは当たり前の店ばかりなので、私は好む」
「お世辞にも治安は良くないし、通行人の会話も怖い(闇)が、普通にしてれば絡まれることもない(たぶん)」
土曜日の午後、
「前回はしたたかに酔い、深夜に行ってはいけない路地裏を歩きつつハウスの人たちと目があうが、なんの問題もない」
「おそらく横にいた友人が、その手の人に見えたに違いない、彼は悪相だ(もちろん私は悪相ではない)」
土曜日の午後、
「コロナ終息後、次は台北を予定しており、我が子を連れて行こうと考えている」
「妻を連れていくと、星付きホテルや観光必須の為に連れて行かない(可能であれば)」
「親子で二人、安宿に泊まり台北の街を彷徨うのだ(子は警戒してかなり嫌がっている)」
土曜日の午後、
「私は旅に出る場合、事前に現地を調べることはない」
「エアー往復と最初の安宿以外は全ていきあたりばったりを信条とする」
「会社と自宅の往復、砂を噛む様な生活から脱出しにいくのだ(プランニングなどまっぴらごめんだ)」
土曜日の午後、
「十八の頃、田舎の親友Nと東京に旅したことがある」
「彼は几帳面で真面目故に、私のいきあたりばったりに大層感情を害した」
「田舎に帰り酒を呑む時に、未だに悪夢だったと彼はいう(不思議だ)」
所感)
■一陰一陽
易経にハマっている。
占いには興味はなく、その世界観が面白い。
易経を学ぶことにより、自分の中の東洋思想、儒学が広がりつつあるのを感じる。
■補足
旅のtweetで妻より指摘を受けた為、補足する。
下調べなしで現地には行くが、観光する時は、現地のガイドさんを雇っている。
地元の人しか分からないこと(治安情報、名物料理、緊急対応等)もあり、お金は使う時には使うようにしている。
旅は、無事に家に帰れてこその旅であり、楽しんでこその旅ではないか。
#自由律 #儒学 #日記 #雑記