四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 子路第十三(1)〈白文・意訳・所感〉

論語 子路第十三(1〜3)〈白文・意訳・所感〉

 

子路問政、子曰、先之労之、請益、曰、無倦、』

論語子路第十三 1(全文)

 

○「子路問政、子曰、先之労之、」

子路、政を問う。孔夫子はいわれた、常に民の先に立って働く、そして民を労ることだ。

子路、えっへん顔で政を問う

衛の大夫、孔悝に仕官して領地の行政官を務めていた子路は、改めて師に政とは何かを問う。

夫子は、この愛弟子の気性を既知している。

衛の地で、(教えた通りに)子路らしく何ごとも先頭に立ち、民を労り、公正無私、猪突猛進で政治に取り組んでいる評判も聞き及んでいる。

故に、この言葉は答え合わせであり、子路が、師よ、どうでしょうか、との問いに、よくやっているな、と子路の行っていることを言葉に出したに過ぎない。

 

○「請益、曰、無倦、」

子路はいう、更に何かありませんか。孔夫子はいわれた、倦むことなく続けることだ。

❖孔夫子、苦笑する

えっへん顔で政を問う子路に、ほぼ満点を出した夫子。

嬉しくて仕方ない子路は、更に褒めてもらおうと問う、「請益」(益になることを請う)=他にもありますよ、もっと褒めてください。

夫子は苦笑され、他の高弟にも述べた同じ言葉で締めくくる。

「無倦」(倦むことなく続けることだ)=健康に留意して、頑張りなさい、と。

 

『仲弓為季氏宰、問政、子曰、先有司、赦小過、挙賢才、曰、焉知賢才而挙之、曰、挙爾所知、爾所不知、人其舎諸、』

論語子路第十三 2(全文)

 

○「仲弓為季氏宰、問政、」

▶仲弓、魯の大夫、季孫氏の執事となり、孔夫子に政を問う。

❖仲弓、挨拶に赴く

雍也第六1にある「子曰、雍也可使南面、」(孔夫子はいわれた、高弟の雍也は君子として政を行う〔南面させる〕に十分な人物である)と夫子から高く評価され、魯の大夫である季孫氏の宰を務めている仲弓が、何故、政を夫子に問うのであろうか。

一つには、温厚沈着で思慮深い、高い品格、政治の実務家として優れ、孔夫子を慕う気持ちの強い仲弓の、仕官が決まったという報告。

二つには、陪臣でありながらも魯の君主の地位を狙う季孫氏に仕える重臣である仲弓の立場。

三つには、夫子から政治上の指示があるのかも知れない(夫子は魯の君主の地位を狙う季孫氏らを良くは思っていない)、と念には念を入れた確認。

何れも、君子として気高くも為政者としての立場を踏まえた思い行いが出来る実務家像が伝わってくる。

 

○「子曰、先有司、赦小過、挙賢才、」

▶孔夫子はいわれた、細かなことは役人に任せる、小さな過ちは見過ごす、有能な人材は見逃さずに取り立てることだ。

❖為政者としての心構え

孔門一、二を争う、内面に於いても徳高き、更に実務家でもある仲弓に必要なことは、高所からの視点である。

陪臣とはいえ、魯の国で最も権力を握る季孫氏の重臣になるということは、国の政を行うレベルの覚悟がなければ、不幸になるのは民ではないか。

故に、夫子は組織の上に立つ立場として必要なことを述べられる。

 子路第十三 2で、子路に対して述べた政を説いたの言葉との違いが、如何に仲弓が優秀な人材であるかが理解る。

 

○「曰、焉知賢才而挙之、」

▶仲弓はいう、どうすれば有能な人材を知り、取り立てることが出来ますか。

❖的を得た質問

仲弓ほどの徳高き実務家ですら悩む、人材獲得とは時代を問わず、難問なのだ。

更に、仲弓は自ら有能であると既知しているが、そこに胡坐をかいていない。

政治とは1人で行えることでない、適材適所を得ることが必須、「先王」の時代では帝堯が舜を見つけたように、政治の眼目でもある。

 

○「挙爾所知、爾所不知、人其舎諸、」

▶孔夫子はいわれた、汝の知る有能な人材を取り立てれば、汝の知らぬ有能な人材が他にいても、周囲の人は見逃さずに汝に告げるものだ。

❖為政者の条件

夫子の教えは、常に中庸を進む。

人材獲得で奇策や妙策無し。日常生活での実践こそ積み重ねであり、為政者の視点が問われる。

為政者が認めて取り立てた人材が、徳高く有能であれば、民も家臣も、君主ですら為政者を認めるのだ。

逆に述べれば、曇った視点で間違った人材を登用すれば、全てから見放される。

為政者が君子であらねばならない、とは伊達や酔狂ではなく、必実な条件でもある。

 

子路曰、衛君待子而為政、子将奚先、子曰、必也正名乎、子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、子曰、野哉由也、君子於其所不知、蓋闕如也、名不正則言不順、言不順則事不成、事不成則礼楽不興、礼楽不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、故君子名之必可言也、言之必可行也、君子於其言、無所苟而已矣、』

論語子路第十三 3(全文)

 

○「子路曰、衛君待子而為政、子将奚先、」

子路はいう、もし衛の君主から政を任せられましたら、孔夫子が真っ先に為されることは何でしょうか。

子路、政の在り方を問う

子路、登場する。質問の内容は、相変わらず直言直行の子路らしい。しかし一番弟子の割には今回は腰が据わっていない。

このような、高齢の夫子にとっては中身が伴わない、たら・れば的な質問をするからには、それなりのバックボーンがあって為さるべきであるが、どうも(衛の政争に巻き込まれている自分のことだけを想定して)質問している。

付き合いが長い、師弟関係と同じく、同じ時代を生きる戦友のような感覚で、高齢の師に対して言葉が滑っている様にさえ思える。

要は、衛の政界は腐敗していて、同族内で王位争いが行われています。夫子は、どう思われますか、と尋ねれば良い。

男児子路は、実践の人であり、言葉は、まあ、この通り上手くない。そして夫子は十分それを知っているし、逆に巧言令色の人を嫌う。

故に次に、政の本質を、この一番弟子の述べる。

 

○「子曰、必也正名乎、」

▶孔夫子はいわれた、世の中の名分を正しくすることだ。

❖孔夫子の教え

物ごとの本質、本来の目的、根本は何処にあるのかを夫子は繰り返し説かれる。

徹頭徹尾、夫子は振れない。

君子とは、先王の教えとは、忠恕とは、学び続けるとは、全てに名分を正しくすることだ。

一方で、風雲急を告げる政争の最中に身を置く子路からすれば、今さらそのようなこと(根本論)を、明日にでも起こりかねない内戦が防げるのですか、と思うのも理解は出来る。

【言葉】名分とは、物事の道理や筋道、あるいは、社会的な立場や役割のこと。

 

○「子路曰、有是哉、子之迂也、奚其正、」

子路はいう、本当にそうでしょうか、先生は遠回りされています。どうして名分を正す必要などありましょうか。

❖焦る子路

故に、子路はいうのだ、「子之迂也」そのような原理原則論などではなく、衛の政界に影響力のある要人の紹介とか、具体的な対策はないのでしょうか。

そして、「奚其正」名分を正すことが、衛の政争を解決するとは思えません、と。

子路は目の前を見過ぎている。政治とは対処療法と並行して、いや、原因療法こそ本来、為させねばならぬことであり、名分(原因)を正せば、正しい方向に進んで枝葉(対処)も正しくなるのだ。

本質を見失っている子路に危機感を感じた夫子は、次にこの一番弟子を叱る。

 

○「子曰、野哉由也、」

▶孔夫子はいわれた、子路よ、何とがさつ者なのか。

❖孔夫子、叱る

夫子と子路の深い信頼関係が伝わってくる。

この欠点だらけの愛すべき一番弟子に、夫子も「野哉由也」がさつ者め、と声を発せられた。

それでは入門前の武人、がさつ者と変わらぬではないか、何の為に今まで真剣に学問に打ち込み、悩み、乗り越えてきたのか。

目を覚ませ、子路よ(自らの学問の積み重ねを信じるのだ)、と。

 

○「君子於其所不知、蓋闕如也、」

▶君子とは、自らが知らぬことに関しては、口を開かぬものだ。

子路の欠点

夫子は、繰り返し子路に述べていることを、再び述べられる。

夫子は、子路の状況、気持ちも、焦燥も気付いている。

そして、夫子自身も子路の立場は危険であり、生死に関わる事態であることも理解している。

故に、繰り返し述べる、学問の積み重ねた範疇以外、自分の知らぬことを感情的に言葉にしてはならない、口を閉ざせねばならない時には閉ざさなければならない、謙虚さ、慎み深さこそ大切である、と。

政治の世界の怖さは、孔夫子こそ海千山千で知っている。迂闊な言葉、行いは致命傷に至ると、この長年の弟子であり友人でもある子路に、繰り返し教える。

 

○「名不正則言不順、言不順則事不成、」

▶名分が正しくないが故に、言葉が正道から外れ、言葉が正道から外れれば、物ごとが成り立たない」

❖原理原則へ

名分(物ごとの道理や筋道、あるいは、社会的な立場や役割)の正否を認識する=物ごとの本質を知る、正しき目的に向かう、根本に立ち返るとは夫子の教えの基本軸だ。

儒学とは、現実を正しく認識して、正しき目的に向かう、実践する学問ともいえる。

原理原則に忠実であることこそ政治の王道であると夫子は子路にいわれる。

 

○「事不成則礼楽不興、」

▶物ごとが成り立たねば礼儀や音楽(規律・規範や調和・協調)が興ることはなく、

❖礼楽は上から興る

全ては積み重ねであり、名分を正しくして、世の中の物ごとが正しく、あるべき姿を保てば、即ち礼楽も正しい姿で整うのだ。

規律・規範とは国の下から上がるものではない、上から下がるもの、同様に調和・協調とは、率先して支配者層、上から始まらねば、どうして、社会全体に行き渡ることが出来ようか。

 

○「礼楽不興則刑罰不中、刑罰不中則民無所措手足、」

▶礼儀や音楽が興らねば、刑罰はまともに機能せず、刑罰がまともに機能せずば、民はその手足を置くところすら無くなる。

❖正道を歩め

名分が成立すれば、物ごとは正道を歩む。

正道を歩むことにより初めて礼楽は整う、礼楽が整えば、正しい姿で刑罰が機能する、国中の民は為すべきことに迷うことなく、為してはならぬことは行なわない。

名分を正すとは、国を正すことに繋がるのだ。

 

○「故君子名之必可言也、言之必可行也、」

▶故に、君子とは(物ごとの)名分を正しく定めてのちは必ず言葉にて述べる、そして言葉に述べたことは必ず行なわなければならない。

❖君子とは

そして、ここで君子とは、と子路に向けて夫子はいわれる。

子路よ、衛の政争に必要なことは名分を正すことだ、そして正すからには仕官している大夫、孔悝にすら名分を正さねばならない。

仕官しているから仕官先を擁護するようでは、名分は到底話しにならない。

故に、政治の話しを軽々しく口にしてはならない(命に関わる)、一度口にするということは仁義に正して、命をかけて正さねばならない、と。

 

○「君子於其言、無所苟而已矣、」

▶君子の言葉とは、仮初めにも曖昧であってはならない。

❖孔夫子、心配する

君子の言葉の重みとは、君子そのものである。

師に対して迂遠であるとか、名分を正すことを(たいして考えもせず)否定する言葉を出すなど、どうかしているぞ、子路よ。

子路の持ち味である正道正義、大道を行くままで良い、でなければ慎み深く、言葉を発せず、深く考える(職を辞することは恥ではない)ことだ。

君子の思考とは、仮初めにも曖昧であってはならない、と。

篤く語る夫子ではあるが、結果的には子路は、この政争に巻き込まれて命を落とすことになる。