四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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論語 子路第十三(4)〈白文・意訳・所感〉

論語子路第十三(15〜18)〈白文・意訳・所感〉

 

『定公問、一言而可以興邦有諸、孔子対曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、為君難、為臣不易、如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎、曰、一言而可喪邦有諸、孔子対曰、言不可以若是、其幾也、人之言曰、予無楽乎為君、唯其言而楽莫予違也、如其善而莫之違也、不亦善乎、如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎、』

論語子路第十三15(全文)

 

○「定公問、一言而可以興邦有諸、」

▶魯の君主である定公は問う、一言で、一国を興隆させる言葉とは、有るのものだろうか。

❖ 定公と孔夫子

このように言葉の際どさを知る魯の定公は、無能ではなかった、しかし陪臣の三家老(季孫氏、叔孫氏、孟孫氏)に権力を握られ、夫子を抜擢するも結局は三家老には敵わず、夫子をも失意に落とす。

窮地にある定公の、一言で一国を興隆させる言葉はないか、という発想自体が、理想高けれど現実から遠い、この人物の限界を示している。

積み重ねなき(恐らくは)善人であった君主の問いに、それでも夫子は定公を君子に近づけようと仁徳の道を教える。

【人名】定公

 ・春秋時代の魯の第26代君主

 ・ 父: 襄公  兄: 昭公

昭公の客死後、魯国の君主となる。孔夫子が仕えた君主として歴史に名が残る。

在位中は、家老である季孫氏、叔孫氏、孟孫氏の三家が実権を握り、政治は混乱する。

孔夫子の助言のもと、夾谷の会、等の外交を行う。

定公の時代は魯国が衰退し、三家老による政治が確立され始めた。夫子はこのような状況下で、理想の政治を実現しようと試みる。

 

○「孔子対曰、言不可以若是、其幾也、」

▶孔夫子はいわれた、言葉とは、そのようなものではありませんが、近き言葉があります。

❖ 思いが言葉へ、誠こそ

一言で世の中が変わる、言葉とはそのような単純なものではなく、人の心深くに喰い込む制御し難き獣であり、且つ、自らを慎み、仁徳に基づいて熟慮を重ねた言葉であれば人を変えることも出来るものです、と説く夫子。

夫子的には、このような浮いた問いは好きではないものの、良い機会として定公に善き君主の道を説かれる。

 

○「人之言曰、為君難、為臣不易、」

▶古人の言葉に、善き君主であることは難しく、善き家臣であるこも容易ではない、とあります。

❖ 善きとは努力が必要

言い換えれば、難しきを知ることから君主は君主の、家臣は家臣の道が始まると(安易に一言で国を興隆させる言葉などありませんと、含ませて)説く夫子。

君主が君主らしく、臣下が臣下らしく思い行うとは、共に学問の道を歩み、礼楽を学び、君子・家臣としての度量、能力、道徳を得てからの思い行いであり、善き君主・臣下とは努力が必要なのです、と。

 

○「如知為君之難也、不幾乎一言而興邦乎、」

▶即ち、善き君主であることの難しさを理解し、その道を実践されたのであれば、一言で一国を興隆せしましょう。

❖ 善き君主とは

一言のバックグラウンドにある、「善き君主」像とは生半可な覚悟で思い行えるものではありません。

道徳の積み重ね(学問の道)と道徳の実践により成せることであり、その上での一言です、と。

君主であることの難しさを定公は何処まで理解していたのだろうか。

目の前のこと(三家老の専横)に思考を奪われて、自らの資質を伸ばそうとしていない、根本が揺らいでいますと、夫子は述べている。

 

○「曰、一言而可喪邦有諸、」

▶更に定公は問う、一言で、一国を滅亡させる言葉とは、有るのものだろうか。

❖ 再び問う定公

そして定公はいう、では一国を滅亡せしめる言葉とは何かと。

二元論の世界にある古代中国では、ある意味必然の問いであり、当時の論理思考がどのように展開していくかは、理解る。

しかし、本来であれば余計な問いである。

何故ならば、前節で夫子は既に「善き君主」の道を説いている。

本来であれば定公自らが(考えて)言葉に発せばならぬパート(役割)を、再び夫子に問う。

 

○「孔子対曰、言不可以若是、其幾也、」

▶孔夫子はいわれた、言葉とは、そのようなものではありませんが、近き言葉があります。

❖ 浮かぶ顔

先の、一言で一国を興隆させる言葉、で述べた言葉と全く同じ言葉を述べる夫子。

確かに、同じ言葉を述べるしかない。

当時の王族・貴族のレベルの低さに心中、ため息をつかれたのではないか。

優秀な高弟である顔回閔子騫冉伯牛、或いは仲弓の顔が浮かんだに違いない。

この中の一人でも君主として南面させる(政治を行う)ことが出来れば、この下克上の世の中を終わらることが出来たかも知れないのに、と。

残念ながら夫子含めて身分は低く、生まれ育ちが幅を利かせる世の中に変わりはない、故に夫子は説明を続けられる。

 

○「人之言曰、予無楽乎為君、唯其言而楽莫予違也、」

▶古人の言葉に、君主であることを楽しく思えず、ただ、自らの言葉に誰もが反対しないことが楽しみである、とあります。

❖ 孔夫子の思い

ここで夫子は悪しき例を述べる、この悪しき例とは定公をも含む、この時代の全ての君主、王族、貴族に対する献言でもある。

夫子が出会ったリアルな君主とは、先王の時代の血脈を継いだだけの(大小あるも)特権意識の塊の様な為政者たちだ。

その血も涙もない為政者同士で戦争を繰り返し、民は疲弊し苦しむばかり。

この夫子の言葉はとても重い、時代を超えて夫子の思いが伝わってくる。

 

○「如其善而莫之違也、不亦善乎、」

▶即ち、君主の発した言葉が善きことである、善きことであると認めた上で反対する者がいない、これは良いことです。

❖ おさらい

ここで、改めて最初に戻る、おさらいを述べる必要があるくらいの人物だ、定公という人は。

高弟の子貢と夫子のやり取りと比べると(定公には酷であるが)、もはや子ども相手に言い聞かせるように優しく、繰り返し述べる夫子の姿が見えてくる。

 

○「如不善而莫之違也、不幾乎一言而喪邦乎、」

▶しかし、君主の発した言葉が間違っている、間違っていると認めた上で反対する者がいない、これこそ一言で一国を滅亡させる言葉と言えます。

❖ 孔夫子の思い

遠くない未来、を述べられたのか、或いは周公旦から発する魯を滅亡させたくない思いか。

ひいては、五百五十年続く春秋・戦国時代の世の中に生きる一人の人間として夫子は述べられる。

下克上と滅亡を繰り返す時代の奔流に、私は逆らおう、と。

先王の教えを根本に、仁徳、礼楽の浸透により天下泰平は実現出来る、これは天命であり、弟子たちにより「思い」は引き継がれいくのだ、と。

 

『葉公問政、子曰、近者説、遠者来、』

論語子路第十三16(全文)

 

○「葉公問政、子曰、近者説、遠者来、」

▶楚の大夫である葉公、政を問う。

孔夫子はいわれた、近き民が為政者の仁政に喜び、その喜びを伝え聞いた遠き民がその為政者の下へ集まってくる、これが政です。

❖ 貴族に政を説く

葉公という人は、当時の典型的な支配層、似非君子であったらしい。

いわゆる、支配する側からの道徳を、重税や徴兵に苦しむ民に押し付けて、それが正しいと思っているタイプだ。現代の世襲議員や長老たちと同じ連中である、とした方が理解はし易い。

その葉公が政(支配層側の政治)を夫子に問うのだ。

夫子からすれば、相互に理解り合えない関係であることは明らかだ。

故に、このような名誉・名声・貴族と顔に書いている様な人間には、仁政を行うことこそ真の名誉名声を得れることが出来るのです、と説かれる。

 

『子夏爲魯筥父宰、問政、子曰、毋欲速、毋見小利、欲速則不達、見小利則大事不成、』

論語子路第十三17(全文)

 

○「子夏爲魯筥父宰、問政、」

▶子夏、魯の莒父という街の代官となり、改めて政を孔夫子に問うた。

❖ がんばれ子夏

子夏は何故、夫子に政を問うたのだろうか、というより仕官が決まった弟子は、師にこう問うのが習慣ではなかったか、言わば卒業式での卒業生と校長の最後の言葉だ。

そして、孔門三千人、文官タイプ筆頭の子夏に政治を夫子が述べる。

礼楽、経書のプロフェッショナル、子夏相手に文を説く必要はない。

学んだことを確実に行えば、この優秀な高弟であれば善き為政者となる。

故に夫子が述べることは、素のままで本来のポテンシャルを発揮させる、つまり焦らず、学ん通りに行いなさい、と述べるのみ。

 

○「子曰、毋欲速、毋見小利、」

▶孔夫子はいわれた、ことを急かないこと、目先の小利を拾わないことだ。

❖ 温かい言葉

夫子の弟子に述べる言葉の、何と温かいことか。

その弟子の長所短所を的確に把握し、時・場所・場合に合致した見事な助言を述べられる。

同時に夫子の人間性も伝わってくる。

巨大な山脈の様に大きくも、足元の小石にもきちんと気付いている。

膨大な学問の積み重ねと研鑽の日々、その実践と、更に苦労人として重ねられた人並みならぬ経験値、もはや「聖人」としか表現出来ない。

勿論、儒学の「聖人」である故に、生身の人間には変わらない。

後世の私たちは、そこに面白味を感じる。

 

○「欲速則不達、見小利則大事不成、」

政とは、ことを急いでは必ずや見落としがあり後に悔いが残るものであるし、目先の小利に目を奪われては、本来、為させばならぬ目的を忘れ、大事を何も成せないものだ。

❖ がんばれ、がんばれ子夏

文系優等生、子夏に述べる助言であるが、本質的には他の政を問うた弟子と同じ返答をしている。

政治の目的とは何か、目先の小利や、急いで実績を上げることではなく、民を幸せにする=民を育てることにある、と。

武人系一番弟子、大道正義の子路には、最後に、飽きることなく続けなさい、と述べられたが、あくまで子路だから、そう述べた。

子夏には、大事を成しなさい、とこの愛弟子に期待していることも伝わってくる。

 

『葉公語孔子曰、吾党有直躬者、其父攘羊、而子証之、孔子曰、吾党之直者異於是、父為子隠、子為父隠、直在其中矣、』

論語子路第十三18(全文)

 

○「葉公語孔子曰、吾党有直躬者、其父攘羊、而子証之、」

▶楚の大夫である葉公はいう、私の領地に、名は躬という、とても正直者がいる。

彼の父が羊を盗んだ時に、躬は父が盗人であると役所に告げたのだ。

❖ 似非君子、再び

再び似非君子、葉公が登場する。

内容も似非君子に相応しく、父を役所に売る子を褒め称える、且つ、仁徳屋(儒家)の総師たる孔夫子に、「孝行」を自慢までする。

ちょっと出来過ぎる、舞台での悪役そのままの葉公というキャラクターは、意外と好きかも知れない。

中途半端に仁徳の理解を示す何処其処の君主より、よっぽど似非で貫いている。

勿論、儒学的には「✕」である。

確かに、貧困のあまり羊を盗んだ父は悪い、しかし父の思いは飢える子に、羊を食べさせたかった。

美味しいね、と喜ぶ子の笑顔見たさに罪を犯した父を、盗人です、と役所に告げる子の何処に仁徳、忠孝があろうか。

夫子は葉公の言葉を聞いて、しばし沈黙されたに違いない、なんという不仁な世界なのか、と。

 

○「孔子曰、吾党之直者異於是、父為子隠、子為父隠、直在其中矣、」

▶孔夫子はいわれた、私の郷土にも正直者はいますが、躬の様ではありません。

父は子の為に罪を隠し、子は父の為に罪を隠します。

正直さとは、(他人に対してではなく)相互に信頼出来得る関係に於いてこそ、守らねばならないのです。

❖ 葉公よ、悪いのは貴公であろうに

何が罪であろうか、羊を盗んで子に食べさせようとした貧困に苦しむ父か、否、民が羊を盗まざるを得ない政治を行う為政者、この場合は葉公の政治手腕、道徳性こそが罪だ。

夫子は、全てを見抜いて似非君子に告げる。

父と子の関係とは無比の慈愛と無私の孝徳に尽きるものです。

そもそも、道徳性の欠片すらない為政者たる貴公こそ、領地でこの様な子が出たことを恥と思うべきです、と。