四端録

東洋思想に関して。四書を中心に意訳して所感を述べ、三行詩にて日々の出来事、思うことを記しています。

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孟子 梁の恵王に見ゆ

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書き下し文)
孟子梁の恵王に見ゆ。
王曰く、雙、千里を遠しとせずして来る。
亦将に以て音が国を利するあらんとするか。
孟子対えて曰く、
王何ぞ必ずしも利を曰はん。
ただ仁義あるのみ。
王は何を以て吾が国を利せんと曰い、
大夫は何を以て吾が家を利せんと日い、
士・庶人は何を以て吾が身を利せんと曰いて、
上下交利を征らば、すなわち国危からん。
万乗の国、其の君を弑する者は、必ず千乗の家なり。
千乗の国、其の君を弑するは、必ず百乗の家なり。
万に千を取り、千に百を取るは、多からずと為さず。
苟も義を後にして利を先にすることを為さば、奪わざればあかず。
未だ仁にして其の親を遺つる者はあらざるなり。
未だ義にして其の君を後る者はあらざるなり。
王亦仁義を曰わんのみ。
何ぞ必ずしも利を曰ん。
孟子 梁恵王章句上

意訳)
孟子が、梁(魏、戦国七雄の一つ)の国を訪れた際、
恵王(紀元前369年 - 紀元前319年、中国戦国時代の魏の第3代君主)と対面する。

恵王がいう。
先生は千里の道を手間とせずここに来られた。
他の遊説の先生と同じく、梁の国になにか利をもたらす提案があると見てよろしいか。

孟子はいわれた。
王よ、なぜ利、のみしか口にしないのか。
国を治めるとは、唯、仁と義のみであり、これ以外にはない。
今、
王は、国の利ばかりを追い求めている。
ならば、
丈夫は、家の利ばかり追い求め、
役人・庶民は、己が身の利ばかり追い求める。
上から下まで、国の者全てが自らの利を追い求めるようになれば、
即ち、梁の国が滅びるのは一目瞭然ではないか。

古今、
万乗の大国の王を弑するのは、大臣の千乗の丈夫であり、
千乗の大臣を弑するのは、家臣の百乗の丈夫である。
しかし、
万乗の大国から、千乗の領地を得、千乗の国から百乗の領地を得るとは、いずれも手厚い禄を得ていることに違いはない。
にもかかわらず、
彼ら千乗の大夫、百乗の大夫が自らの主を弑してまで領地を得ようとするのはなぜか。
義、即ち、人として生きる正しい道が心に無く、ただ自らの私利私欲を満たすことに心を奪われているからに過ぎない。

王よ、
仁を志すもので親を捨てた者は未だなく、
義の道を歩む者で主君をないがしろにした者は未だいない。
故に、国の王とは、仁と義を国の要とすることを第一とするもの。
王自ら、私利私欲を求めるなど、決して行ってはならない。

所感)
■私心なき思い
孟子第一章の最初の章であり、普通の人であれば、初めて読む孟子となる。
意味するところは、
「国を治めるに利を求めてはいけない、仁と義こそ国を治める根本である」と説く。

今回の意訳では、通読では読み取れなかった、孟子の魂からの叫びを感じる。
戦国七雄の魏の国の王で、この有り様。
民の救世を心の底から願い、真の君子を探し国中を旅する孟子的には、
愕然としたのではないか。
後半の、「王よ」との呼びかけは、思わず付け加えしまう。
文字通り、世の中の流れに絶望を感じながらも、心の底から恵王を仁と義に導こうとした、世の中を変えようとした、孟子の私心なき思いに強く心を打たれた。

今日、一日の読書を学問として、努め励みたい。
#儒学 #孟子