日曜日の朝、GW
「小雨だったので長靴を履かなかったが、ハズレ」
「一度戻ろう、気分良く歩きたいもの、雨の散歩も気に入っている」
「目的地に向かうのではなく、単に歩くという行為が楽しい」
日曜日の朝、森の中
「私は、昔から雨の日は濡れるものと思っているのであまり傘はささない」
「濡れれば、濡れれば良い、万事こんな具合なので、同行する機会を得た家族からは不評だ」
「しかし、五十にして初めて長靴を買い考えを改めた、雨で足が濡れないとは、なんと快適なことか」
日曜日の朝、大雨
「長靴を履き、足が乾いた状態で大雨の中を歩くだけでも、楽しい」
「我ながら安上がりだ、私服もめったに買わず着古した服を何年も着る」
「流石に仕事用は、そこそこ揃える、ビジネスでは服装で人を判断する人は多い、私はそこまで変人ではない」
日曜日の朝、ウオーキング
「腕時計は若い頃ハマり、幾度の苦い経験を得て、一本のみ所持している」
「最終的にロレックスのミルガウスに落ち着いた、この時計を死ぬまで着ける」
「シードウェラーとかエアキングは売ってしまった、昨今の高騰は凄まじい、もったいないことをした」
日曜日の朝、雨と風
「妻からは散々文句をいわれた、原価って知ってる?」
「左手に着けるだけなのに、両手両足分以上買ってどうするの?、首にも?」
「まあ、子が生まれてからは一本を除いて引退したのだ、勘弁してほしい」
日曜日の朝、雨
「亡父も腕時計好きでIWCやオメガを好んだ、が色々あって散逸した」
「安月給ではIWCは買ってやれぬ、そこでオメガのスピードマスターをプレゼントした」
「確か私が三十の時か、父は喜んでくれて、亡くなるまでその時計を着け続けてくれた」
日曜日の朝、雨音
「父の訃報を受け田舎の病院に駆けつけた時、病床で冷たくなった父の左腕には、この腕時計が着けたままであった」
「機械式の秒針は動いていた、私が腕時計を外した」
「今は、母の手元にある、いつか私が引き取り、子に渡す、私の腕時計とともに、腕時計一つにも物語がある」
日曜日の朝、小雨
「私が二十代初めの頃、父からオメガのコンステレーションを貰う」
「人生、谷あり山あり、常にその時計は側にあり、白い文字盤は焼けてしまった」
「子が生まれた時、阪急でメンテに出し文字盤も新しく替えた、形見でもあり、子が成人したら譲ろうと考えている」
日曜日の朝、横雨
「考えたら、子には三本の腕時計を譲ることになる」
「ロレックスは高騰しているので売っても良いが、オメガ二本は大切にしてほしい」
「祖父から父、そして子への「連なり」の一つとなろう、機械式は修理すれば使える、いつかは孫が曽祖父の腕時計を着ける日がくる」
日曜日の朝、森の中
「前職でお世話になったKさんは、名うての腕時計コレクターだ」
「面白いことに、彼は仕事中は腕時計を着けない」
「確かに気持ちはわかる、数百万円の腕時計に傷などつけたくはない」
日曜日の朝、小雨
「Kさんは私より早く前職を辞めた、私は長年の感謝の思いを込めて、セイコー5という腕時計を贈る」
「Kさん初の安物時計ではあるが、大変喜んでくれた」
「Kさんは仕事中はいつも使用し、宴会で私に会う時は常に着けている、そしてピカピカに磨き上げている」
日曜日の朝、どしゃ降り
「私は昔から今も貧乏だ、ロレックスは趣味なので最初の一本はローンを組んだ」
「ロレックスは、二本目以降が楽だ、買値より売値のほうが常に高かった」
「機種選択さえ間違えなければ、下取りすれば、数十万円程で新しい機種へ買い替えれる」
日曜日の朝、雨宿り
「屋根のあるベンチで雨宿りしている、すぐ横には雀と鳩が雨宿りしている」
「鳩は喉を鳴らしている、今日はなにも持ってないのでおとなしい」
「雨音を聞きながら、雨の森をみている、周囲に人はいない、落ち着いた時を楽しんでいる」
月曜日の朝、晴れ
「GWを既に三日、終えたことに暗然となる」
「感覚では昨日位からお休みに入った気がする、相対性理論か」
「昨夜田舎のNと電話で話す、帰省していれば寿司と焼肉をご馳走したのにと、、、本当だろうか」
月曜日の朝、森の中
「ウクライナのことを質問箱で質問したが、文章が下手で伝わらなかった」
「孔子の生きた時代は、戦争と飢餓だ、だからこそ変えようとされた」
「孟子なら、エピソードが幾つも浮かぶも、論語は浅学故に浮かばない」
月曜日の朝、ウオーキング
「論語を継続して写経し、意訳し、読んでいる(遅々として進まず )」
「息抜きに、孟子を開き、好きな句を声に出して吟じている」
「白文をみて、すらすらと吟じれる章を少しずつ増やすのが楽しい」
月曜日の夜、曇り
「大学のアカデミックな匂いを感じた、貝塚茂樹先生とは違う香りだ」
「自ら意訳した部分に限るが、訳者による違いは理解出来る」
#自由律
中国古典選3/4/5 論語(上中下)3冊 朝日文庫 https://t.co/D5pbh1PL22
月曜日の夜、深夜
「先生よりご指導をいただく、論語に取り組む姿勢自体を正された」
「孟子にある通り「仁者に敵無し」という言葉が浮かぶ」
「粱恵王章句にある『小勇を好むこと無かれ』こそ今の私だ、小勇を好んでいる、大勇こそ我ら儒家の目指す道、自らの浅学を恥じいるばかりです」
#自由律
月曜日の夜、地震
「地震あり、子が怯えている、言う、父が生きている限り全力で救う、大丈夫と」
「大阪府北部地震でも死にかけた、仕事中、半歩先に数トンの荷が崩れた」
「運はどうしようもない、もし生きていたら、為すべきことを全力でする、それだけだ」
火曜日の朝、晴れ
「特徴のある小鳥の鳴き声が聞こえる、知識がなく、なんの鳥かわからない」
「野草もほとんど知識がなく、小型の図鑑を手に森を彷徨う時もあった」
「今は、俯瞰して楽しんでいる、野草と小鳥からは進みそうにはない」
火曜日の朝、森の中
「妻が旬の筍と豚肉、里芋の煮込みをつくる、美味しい、子が食べすぎて苦しんでいた」
「筍は大好物だ、少年の頃、自宅の横が竹林であったためか、よく食べた」
「母はよく、筍を蕗と若布で煮て食べさせてくれた、帰省出来ていれば山ほど食べれたかも知れない」
火曜日の朝、ウオーキング
「Civilization Ⅵ、難しい、未だ弓矢で城塞に籠もっているが、ライバル国は機関銃で攻めてくる」
「面白いのだが、上手くいかない、蛮族対応で精一杯の内にいつの間にか近代だ」
「なんとなく、維新前の日本を思い出し必死になるが、中世VS近代の差は如何ともし難い」
火曜日の朝、晴れ
「私は今までBtoBの職ばかり就いていた、故にBtoCは大変なイメージしかない」
「BtoCの方の職場ツイートを拝見する、確かに無茶苦茶な内容だ、ホラー映画の様だ」
「荒っぽい業界で長年勤めているが、一消費者にはかなわない、申し訳ないがツイートを読むのが楽しい」
火曜日の朝、歩いている
「昨夜田舎のNと電話で話す、Nはインフラ関連の職に就いており今日から仕事だ」
「ため息をつくN、気持ちはわかる、私も前職は、盆に正月GWはほとんど休みがなかった」
「Nが仕事をしている、と思いながら森を歩いている、私は意地が悪いし正直だ、少し楽しい」
火曜日の朝、晴れ
「太陽が昇ってきた、そろそろ退散しよう、紫外線アレルギーとはまったく‥」
「数日前、道の真ん中でスケボーをする若い人たちに食ってかかる初老のご婦人を見た」
「そして、若い人たちを追っ払ってしまった、凄い人もいる、一昔前はそんな人がたくさんいた気がする」
水曜日の朝、晴れ
「昨日は攻殻機動隊を観ていた、今日はシーズン2の予定」
「こどもの日には子の自転車を買う予定、電気自転車が欲しいと子より圧あり」
「休みもあと二日アトピーも回復してきた、金土は仕事に行けそうだ」
水曜日の朝、森の中
「妻と子はお出かけする、妻の友人たちと会うらしい」
「子は嫌がっていたが、若い美人の人がくると聞きしぶしぶ了承していた」
「子も思春期か、いや、反抗期だ、最近は特に父に冷たい」
水曜日の朝、晴れ
「妻のいう美人さんと、私達親子の思う美人さんとは、常に意見の相違がある」
「しかし、間違った返答をしてしまうと、とんでもないことになる、身に沁みている」
「あの店員さん美人だね、など迂闊なことをいえば修羅場だ、私は常に笑顔で「そうだね」しか発言しない」
水曜日の朝、ひと休み
「お気に入りのベンチでひと休みする、良か休日だ」
「昨夜は礼記を読んでいた、礼とは人を尊ぶこと」
「ただ、他の徳、例えば仁との、「つながり」の理解が弱い、文字面を追うばかりでどう実践するのか見えてこない」
水曜日の朝、晴れ
「子がラグビーボールをかりてきた、この休みに練習するらしい」
「明日、父にも教えてくれるという、楽しみだ、実は触ったこともない」
「部活帰りの子の顔つきが変わってきた、良い顔をしている」
水曜日の朝 ウオーキング
「いわゆる体育会系には賛否両論あるが、私は気に入っている」
「私のような単純で脳筋の人間としては、あれこれなくて楽でいい」
「ああ、そうか、これも礼だ、確かに礼に始まり礼に終わる」
水曜日の朝、晴れ
「ただ、体育会系は、良き師に出会えるかのガチャはある」
「私の高校時代の柔道の先生などは、体罰と怒声が指導と勘違いしていた」
「合気道で有段となり、指導する機会を得て思う、結論、その人の人間性に尽きるのだ」
水曜日の朝、森の中
「例えば、受け身、身体が何も考えずに受け身をとれなければ練習にならない」
「受け身が出来ねば危険なのだ、故に、上級者を数人で囲み、ひたすら投げられる練習がある」
「乱取りをする上級者も大変だ、複数に囲まれ怪我をさせぬように投げるのだ、双方体力勝負」
水曜日の朝、晴れ
「合宿や強練などで、朝から晩まで練習し、筋トレし、数え切れぬ程受け身をして身に付ける」
「これをシゴキと取るか、優しさと取るかは自分しだいだ」
「気付くのは有段をとってからかも知れないが、私は当時を振り返れば、本当に優しく教えていただいたと思っている」
水曜日の朝、ばら園
「ばら園の薔薇が咲き出した、しばらく立ち止まり、香りを楽しむ」
「バラ愛を、大きな身振り手振りで熱く語るバラ夫人の姿は見えずホッとする」
「この時期この場所に現れる、毎年、バラを見ていると話しかけられ、お話しは三十分は続く、止まらない」
水曜日の夜、晴れ
「CivilizationⅥを楽しんでいる、難しいが時間が溶ける」
「全部のせであれば、巨大ロボットからヴァンパイア、なんでもありらしい」
「取り敢えずは、戦士は維持費が要らないと今知った、財政破綻は常のこと」
#自由律
木曜日の朝、晴れ
「GW休み最終日、アトピー回復したので明日は仕事しよう」
「マスクと髭剃りが悪化の要因であることは理解出来ても対処方法がない」
「子が地震を怖がっている、11日は会社を休んでと(ネット情報らしい)」
木曜日の朝、GW
「先生よりご指導をいただく、礼とは「人が人として為すべき行い」と」
「初学者向けに教えていただいた、そして最後に「自得」の大切さを説かれてお話しは終わる」
「繰り返し先生のブログを読み返している、「明明徳」の言葉が脳裏をよぎる、儒学とは実践の学問だ」
#自由律
木曜日の朝、明け六つ
「中庸という視点と、大きな視野、大家に阿ず自ら考えること」
「学問の道で私が欠けているところも見えてきた」
「「自得」とは良い言葉をいただいた、ありがとうございました」
木曜日の朝、8 am
「不特定多数がお話しするスペースとは難しいな、と思う」
「私の様に、基本、儒学しばりであれば、不愉快な人と出会うことは少ない」
「しかし、集団心理と、個としてのアイデンティティのぶつかり合いは、当然ながら実社会と同じく様々な感情を生む」
木曜日の朝、ウオーキング
「私は三十年アトピーを患うがアトピー・スペースには参加しない」
「何故なら、触れられると心が動揺し、感情的になる因子を自らに内包していると自覚しているからだ」
「傷ついた心は、癒やされる為に共感者を求める、何故私だけ、不合理、怒り、剥き出しの自我」
木曜日の朝、午前八時
「当然ながら、剥き出しの感情通しのぶつかり合いを否定はしない、必要な時もある」
「しかし、不特定多数の顔も知らない人とのぶつかり合いは、しんどいなと思う」
「かなりの労力を費やすことに対しての、対費用効果が薄すぎる、激しい感情とは人を疲弊させる」
木曜日の朝、森の中
「私も人間だ、マイナス感情に心を支配される時は、ままある」
「そういう時は、田舎のNと話す、否、八つ当たりする、気が済むまで」
「三十五年の付き合いだ、彼流のあしらい方も堂に入っている、が、若い頃は相当困ったと今でもいう」
木曜日の午後、ウオーキング
「子とラグビーの練習をする、父に丁寧にパスの説明をする子」
「親子でキャッチボールを繰り返す、ボールを回転させねばならぬ」
「一生懸命の子を眺めながら、嬉しい、日々逞しくなっている」
金曜日の朝、通勤
「さあ、一足早くGW終わる、今日為すべきことを為すまでだ」
「今日はボチボチいこう、連休の明けだ、一速アイドリング走行で」
「また、子とラグビーの練習をしたいもの、GWで一番楽しかった」
金曜日の朝、車内
「昨日は子の自転車が壊れ、新しく買いにいく、重なる時は重なる出費」
「26型でもなんとか乗れる、しかし子が選んだのはミニタイプの20型」
「まあ、椅子は高く上がる大人用だ、土日の合同練習は基本自転車移動、子の好きにさせる」
金曜日の朝、ホーム
「スリッパ、長髪、手袋、ズボンは工場の制服、男性、四十代、目の前に居るがわからない、何者だろう」
「スリッパと手袋が謎、髪は艶や、縄文系、痩せ型、時間旅行者か宇宙人だろうか、わからない」
「構内アナウンス、写真撮影は止めて下さい、レアな電車らしい」
金曜日の朝、事務所
「休日出勤なので、コーヒーを飲みながらゆっくりしている」
「パソコンも開くのを止めた、開けば仕事が増える」
「休み前に立てたプラン通り、以上も以下もない、まだゆっくりしよう、GW中に撮った雨の日の薔薇を見ている」
金曜日の朝、コーヒー
「昨日、百人を越えるスペースに興味を持ちリスナーする」
「内容が理解出来ない、私は頭が悪いのだ、数人の人が興奮しながら話していた」
「人に受けようとする内容・話し方をしている、メディアの討論会に似ている、主客は内容ではなく語る人そのものかと感じた」
金曜日の朝、ひと休み
「取り敢えず、ひと休みしよう、数えるなら十休みはしているか」
「コーヒーでも飲もう、ひと仕事は終えた、休日出勤とはマイペース」
「さて、予定通り、休日しか出来ない仕事に取り組もう」
金曜日の午後、帰宅中
「今日は人の臭いがしんどく思う、鼻が変に利きすぎる」
「すれ違う人の外見、眼、身振り、臭いを無意識にプロファイリングしている」
「悪い癖だ、極稀に、生理的に受け付けない吐き気がする人と出会う、人なのかどうか怪しい(と子供の頃は信じていた)」
金曜日の午後、焼き鳥屋さん
「悪臭が苦手なのではない、内面から業とか、悪行が外側に滲み出る人が極稀にいる」
「側にいるだけで鳥肌が立つ、人としての誠はなく、義の欠片も感じない」
「子供の頃からの癖だ、病んでいるかも知れない、子が同じことをたまに言っている、心配だ」
金曜日の午後、焼き鳥セット
「コロナ禍前は、立ち呑み屋巡りを休日の楽しみにしていた」
「沈黙のまま、赤の他人が横一列になり呑んでいる、あの間が好きだ」
「黙っているが、実は語り合っている、横に立っているだけでもなんとなくわかる、外見、身振り素振り、声、人生が滲み出ている」
金曜日の午後、午後五時
「たまに会話することもある、ギャップが面白い」
「強面の厳つい風貌ながらAKBの追っかけをしている、とか」
「紳士然ながら言葉の端々にやばい、触れてはいけない世界の断片が、とか」
金曜日の午後、日本酒
「昔、このお店で、元大阪府知事の姿を見かけた、誰も騒がない、ここは大阪だ」
「元知事は、家族連れで焼き鳥を楽しんでいた、ここは大阪だ、誰が邪推な言葉をかけようか」
「東京行き飛行機で会った鶴瓶さんは、子に手を振ってくれた、TVのままのキャラだった」
金曜日の午後、電車内
「さて、帰ろう、利く鼻は、ぬる燗四合で作動していない」
「帰って寝よう、これぐらいが調度良い、微酔する」
「電車は満員だ、横に座る二人組の会話が耳に入る、聴きたくはないが聞こえる、アトピーとステロイドの話しが続いている、マスクが限界だと話している」
土曜日の朝、快晴
「昨日ぶっ通しで仕事をしたので、予定クリア、今日はお休みに」
「昨日出勤したせいか、休みボケは消えた、週末を楽しもう」
「森を歩いている、今日は暑くなりそうだ、読書&子とラグビーの練習の予定」
土曜日の朝、GW
孔子が魯の国仕えし頃、国の大廟に入る時には儀礼を細かく問われた。
ある人はいう、
礼儀を知ると聞き及ぶ孔子だが、魯の国の大廟に入るのに、事細かく礼儀を尋ねるとは如何なものか。
土曜日の朝、午前八時
孔子はいわれた、
国の大廟に初めて入る時には事細かく礼儀を尋ねるのが、古くから定められた礼儀なの
(知らないことは知らないとし、前任者に敬意を払い、丁重に教えを請う態度こそが)古くから定められた礼儀なのだ。
土曜日の朝、マクドナルド
「レイコーが美味しい、と、隣席の家族連れの会話に吹き出した」
「イヤイヤ期だろうか、父親相手に無双している、微笑ましい」
「子からのリクエストも買った、ボチボチ帰ろう」
土曜日の朝、Nine o'clock
「吉川幸次郎先生の本がまだ届かない、GWは遅いらしい」
「ばら園の薔薇が咲いている、香りを楽しんでいる」
「ブンッと蜂の羽音が耳もとでした、退散しよう」
土曜日の朝、ウオーキング
「少年の頃、蜂を避けようと逃げるとシャツの中に入られ背中を刺された」
「洗濯で干してある下着に蜂が紛れこみ、履いたらお尻を刺された」
「昔から運が悪い、母が手当てをしながらよく笑っていた記憶がある」
土曜日の朝、午前九時
「賭け事など昔から勝てたことはない、故に博打はしない」
「運が悪いおかげで、逃げ足と開き直りのスキル持ちだ」
「トラブル対応の場数も踏んでいる、前職では触っただけでパソコンが壊れると噂された」
土曜日の朝、ウオーキング
「確か小学二、三年の頃、ラジオ体操中に近所の犬が乱入した」
「皆、蜘蛛の巣を散らすように逃げるが一人逃げきれない」
「悪い犬でなない、抱きつかれて擦り傷と顔中舐められ、泣きながら家に帰る、例のごとく母は笑っていた記憶がある」
土曜日の午前、森の中
「今なら大騒ぎだが、昭和の時代は緩やかであったらしい」
「四五回乱入し、毎回抱きつかれ、こちらも扱い方が慣れた頃、ようやく飼い主が気づき二度と来なくなった」
「家は知っているので、たまに門越しに会いにいくと、犬はたいそうよろこんでいた」
土曜日の午後、公園
「公園で子とラグビーの練習をする、スクリューパスの繰り返し」
「私は片手の方がよく回る、子は投げるまでの間が長い(アニメ風)」
「お互いつき指をした、日陰でも暑い、昼飯は妻が料理したおでんを食べた」
所感)
■記憶
私の中の母の印象は、いつも優しく笑っている人だ。
子供の頃を振り返っても、ずっとそんな印象だ。
怒られた記憶もない。
しかし、四、五年前、なにかのことで叱られ、名を呼ばれた。
すると、条件反射、無条件に、ビクッと背すじを伸ばしている自分に気づく。
子供の頃の記憶の奥底に潜む、なにか、が、この歳になっても出たとしか。
よくわからないが、亭主関白であった亡き父よりは母のほうが実は怖いと、無意識に心に刻まれているとは、面白い。